ここでは、 北大カレー部がどのようにしてできたのか、 「北大カレー部って一体何なの?」 というあたりについて書こうと思います。 |
今をさかのぼること約5年。ここ北海道において明治時代から80年以上も 続いている「商大戦」というものが全てのはじまりでした。 商大戦というのは北海道大学と小樽商科大学(以後,商大)との 体育会クラブを中心とした総合定期戦のことです。 そんな時、当時の北大応援団は商大戦を盛り上げるために、 体育会クラブの試合だけでなく、「カレー対決」などもやって 一般の学生も巻き込んじゃおうと考えたのでした。 と、いうのも既に商大には無類のカレー好きによって作られた 商大カレー部というものが存在していたのです。 こうして、ある年の商大戦の競技種目に「カレー」が加わることに なりました。相手は日頃からカレーを研究している強豪です。それに対抗 できるだけのカレーを作らなければなりません。 そうして自然発生的に「いかに美味いカレーをつくるか」という カレーサークル的なものが北大にもできていったのです。 これが北大カレー部のはじまりです。 気になるカレー対決の結果は? |
最初は、自然発生的にできたカレー部でしたが その活動拠点は主に北大恵迪寮でした。 400人を超える学生が生活する恵迪寮には、広い調理場や 大鍋などの調理道具が充実しており、カレーを作るのには 最高の環境だったのです。 また、日頃から自炊をしているので、結構料理好きな 食にこだわる寮生が多かったというのもあるでしょう。 寮では基本的に10~15人くらいの部屋サークルを作り(半年に一回ずつ 「部屋替え」なるものを行い、メンツを替える)共同生活をしています。 そして、各部屋サークルにはそれぞれの部屋趣旨なるものが 存在するわけです(寮内で雑誌や新聞を発行する部屋、 ビデオ上映などのメディアを管理する部屋など…)。 そうした中でカレー部屋ができたというのはむしろ当然(!?)でした。 過去にあったカレー部屋としては、毎日カツカレーを食っていた部屋 (カレールーを毎日継ぎ足し継ぎ足し…)や、部屋員がインドまで スパイス合宿に行ったような部屋がありました。 と、いうわけでいつの間にかカレー部は恵迪寮の 単なる一つのカレー部屋みたいなものになっていきました。 ただし、以上のようなことから恵迪寮ではルーカレーよりむしろ、 タマネギとスパイスを混ぜて作るスパイスカレーの方が主流となりました。 |
当時、僕はそのようなカレーに関する知識は全くありませんでした。 市販のものだったらせいぜいボ○カレーやジャ○カレー、 お店のカレーといっても「ベル」や「時館」くらいしか知らず、 カレーにはあまり良い印象をもっていませんでした。 むしろ、悪いといった方が良かったかもしれません。 ただ、インド帰りの寮生が作るスパイスカレーは好きで、 どうやったらこんなの作れるんだろうという位の興味は持っていました。 そんなある日、食通の寮生に連れられて行った「ミルチ」の 一杯のカレーが全てを変えました。それからというもの僕はすっかり スパイスの虜にされてしまいました。 まさに今まで知らなかった新しい世界を発見してしまったのです。 そしてほぼ毎日、狂ったようにカレー屋を歩き回ってました。 「毎日カレーが喰いたい」 「こんな美味いカレーを自分でつくってみたい」 「カレーを研究したい」… そう思っていた時がたまたま「部屋替え」の時期だったのが全てのはじまりでした。 そして、「カレーを毎日作って、喰う!!」だけでなく、 「再び北大カレー部の学内進出を図る」という部屋趣旨に賛同した精鋭12人により、 ついに「北海道大学体育会(ウソ)カレー部」が誕生したのです。 |
現在は寮内の部屋サークルとしては存在していませんが、 学祭などの時に北大カレー部としてカレーを売ったりしています。 また、今でも元カレー部部員各々が、かつて培ったカレー技術と 美味いカレーへの飽くなき探究心のもと日々カレー道を精進していることは 言うまでもないでしょう。 僕もマイ・スパイスを揃えて頑張ってます。 |